今回は僕が適応障害となり、休職した経験をまとめました。
適応障害となり絶賛休職中のひとりくん(@hitori_kun_blog)です。
・「適応障害」になった僕の特徴
・「適応障害」になった原因
・「適応障害」になった僕が置かれていた状況
僕はもともと「仕事に行きたくない」人でした。
僕はそもそも就職してから「仕事が好き!」とはなかなか言えない人でした。
周囲の同期を見ていると、
「なんでそんなに夜遅くまでがんばれるの?早く帰りたい…。」
「会議でもバンバン意見を言えるのすげえな…言えない俺はダメな奴だ…」
そんな劣等感を抱きつつ、なんとか勤めていました。
この時から、すでに
「あ。今日は仕事無理だ。」って時には
結構休みを取っていたので、
職場では「よく休む人」という位置付けだったように思います。
そもそも「仕事に行きたくない人間」でした。
人間関係が崩れたきっかけは「あいさつが遅れたこと」
就職から7年目のことです。
休職される方が出たことによって、臨時職員さんが来られました。
50代後半くらいの女性の方です。
あとでわかることなのですが、過去にも若手をつぶしたことで有名(?)な方だったそうです…。
僕はその方が初めて出勤される当日の朝、別の件でかなりドタバタしておりました。
なので業務が落ち着いてから、臨時職員さんにあいさつに伺いました。
すると、
「あんたまずは朝はじめにあいさつしにこなあかんのちゃうんか!?」
どうやらあいさつが遅れたことにとても腹を立てておられたようです。
僕はヒステリックに怒られることがとても苦手で、頭が真っ白になり、平謝りすることしかできませんでした。
そして、
ここから関係が崩れていきました。
人間関係が崩れたきっかけは「あいさつが遅れたこと」
いやがらせの無限ループと自信を失う僕。
ここから1年間は臨時職員さんによるいやがらせの無限ループに耐える日々がはじまりました。

この仕事どのように進めましょうか…?
「もうあなたの話は聞きませんから。自分で考えてやれ!」

自分で考えて、資料作ったんですけど…見てください。
「こんなのおかしいでしょ!こんなことも自分で考えられないの?」
「もっと早く相談に来い」
この繰り返しがほぼ毎日のように続きました。
極めつけは、「他の職員に僕への愚痴を広める」という行動でした。
・あいつは仕事ができない。
・あいつは相談もなしに仕事を進める。
・私はあの子嫌いや。
こういったことを僕に聞こえるように他の職員に言っていました。
こういったことが、ほぼ毎日のように繰り返されました。
僕は、どんどん自信を無くしていきました。
僕の自尊感情を低くしたのは
・「自分で考えろ」→「こんなのも考えられないのか」の無限ループ
・他の職員へ僕の仕事のできなさを広める
体調の異変があらわれる
自信をどんどん失っていった僕の体にどんどん異変が起きはじめました。
仕事を終えて帰宅すると、全身にじんましんが出ました。
翌朝になると何事もなかったかのよう引いていきます。
→出勤中に車の中で突然涙が流れることが度々ありました。
→出勤前から謎の吐き気に襲われることがありました。
→ささいなことでイライラし、仕事のストレスを家族にぶつけてしまうこともあった。そしてそんな自分が嫌になっていきました。
じんましん、突然の涙、吐き気、プライベートでのイライラ、などの変化があらわれても
この時の自分は
「なんとか働かないといけない!」
と思っており、地獄のような毎日でしたが職場の周りの方々に支えられながら、
なんとか乗り切り、原因と思われた臨時職員さんは1年で異動となりました。
じんましん、突然の涙、吐き気、プライベートでのイライラ、などの変化があらわれても働き続けた。
突然、心の中の何かがプツンと音を立てて切れた
(*この頃は本当に限界だったので、当時のことはうろ覚えになっています。)
2018年に異動があり、職場の環境がガラリと変わりました。
だからといって、「心機一転!」というわけにはいかず、
僕の自尊感情は低いままでした。
そして、自尊感情がほぼ0の僕に、異動先ではなかなか大きな仕事が待っていました…。
「こんな僕がやっていけるんだろうか…。」
そう思いながら、新しい職場での仕事が始まりました。
すると、思っていた通り、全然仕事がうまくいきませんでした。
2週間ほどたった月曜日。
朝から体がとても重たい。気持ち悪い…。
「とてつもなく仕事に行きたくない…」
とてつもなく重い体を引きずって、なんとか車に乗り込み、
職場へ向かったのですが、
途中のコンビニで車を停めてしまいました。
しばらくぼーっと朝の空を眺めていたように思います。
その時、何かが心の中でプツンと切れました。
これまで我慢してきた感情が僕の中に押し寄せてきてぐちゃぐちゃな感情になり、
車の中で号泣してしまいました。その後のことはよく覚えていないのですが、
そのまま職場に電話をかけ、管理職に
「もう無理です。僕は全然だめなんです。この仕事にむいてないんです。」
といったようなことを泣きながら話したように思います。
こうして、心療内科へ行ってみることになりました。
ある日突然これまで我慢してきた感情があふれ出し「もう無理です。」と電話で伝えた。
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