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適応障害からの脱出のきっかけのひとつは「周囲の人たちの理解ある支え」だと思う。

どうも。ひとりくんです。

今回は適応障害から僕が快復に向かうきっかけの一つになった

「周囲の人の理解ある支え」

について書いてみたいと思います。

僕について

この記事を書いた人

ひとりくん

2018年に適応障害になり休職(1年)
その後復職し2年間勤めるも、
2021年に再発し、休職の後、退職。
2022年4月よりIT関連会社に転職。

現在も治療を続けながら、
細々と働いています。

内向型でひとりの時間が大好き。

打ち明けるのはとてつもなく怖かった

適応障害になり、はじめの3ヶ月ほどは全く休めませんでした。

その原因の一つが

「家族に言えない」

ということでした。

僕の場合は、実家の家族に打ち明けるのがとても不安でした。

適応障害を打ち明けて、

実の親はどんな気持ちになるのだろう。

・心配をかけてしまうだろうな。

・妻を支えなければいけない立場なのに何してるんだって言われるかもしれない。

・情けない息子だと思われるだろうな。

・弱い人間だと思われるだろうな。

色々な感情が渦巻いて、

なかなか踏み出すことができませんでした。

迷えば迷うほど、言いづらくなるし苦しくなりました。

ひとりくん
ひとりくん

打ち明けるまでがほんとうに辛かった。

家族に打ち明けたときの話

僕が実家の家族に打ち明けることができたのは休職から3ヶ月ほど経ってからでした。

実家には定期的に帰っていたので、

その時になるべく自然を装って

「実は今、適応障害ってのになってしまって、休職しとるんさ。」

と打ち明けました。

両親の反応は驚いているようでしたが、

僕が休職したことを一切責めずに、

「頑張りすぎたんだから、ゆっくり休んで治しな。」

と受け入れてくれて、

「仕事なんて辞めてもいくらでもあるんやから、辛かったらやめてもいいんやで。」

と言ってもらえました。

ひとりくん
ひとりくん

この言葉にとても救われました。

だいぶあとになってから聞いた話ですが、この日から数日間、母はこれまでの自分の子育てが間違っていたんだと落ち込み、悩み、何度も泣いていたようです。でも、僕の前ではいつもの明るい母でいてくれました。ほんとうに感謝しています。

周囲からの理解と支え

打ち明けて受け入れてもらえたことで、

胸のつかえが一つ消え去ったように感じました。

適応障害で療養していて気づいたのですが、自分で自分を認めることもとても大切ですが、他人から認められることほど嬉しくて安心することはありません。

しかも、自分をよく知っている周囲の人から認められるということが僕にとっては「いまは休んでもいいんだ」という安心感に繋がりました。

もしあの時、僕の状態を受け入れてもらえていなかったら、僕はどうなっていたのか考えるだけでぞっとします。

ひとりくん
ひとりくん

周囲に理解してもらえて支えてもらえた自分は幸せなんだと思う。

さいごに

最後に、もし周囲に適応障害になった方がいる方に伝えたいです。

もし、あなたに「適応障害」だと打ち明けてくれる人がいたら、その人はきっとあなたのことが大切でとてつもなく勇気を振り絞って打ち明けたのだと思います。

打ち明けるまでに、時間はかかってしまったかもしれません。

うまく言えなかったかもしれません。

それでもあなたに伝えなくちゃという思いで必死の思いで伝えています。

どうか。

「辛いのはみんな同じ」なんて言わないでください。

「気持ちの持ちよう」なんて言わないでください。

「こんなになるまでがんばったんだね。」の一言でその方の心は少し軽くなると思います。

ひとりくん
ひとりくん

大切なあなたにはどうか「救いと支え」になって欲しいと思います。

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